2013/01/04

叱る


今日は「叱る」ことについての話をしたい。

世の中では「叱る」ことと「怒る」ことは違う、などと盛んに謳われている。

どうやら「叱る」とは、相手のためを思い目的をもって注意をすること、

一方で「怒る」とは、自分のイライラを発散させるために相手に当たることらしい。

だから、子どもや部下を教育するためには、怒らず叱ることが必要となる。


たしかにこの区別は的確だと思う。

ただ今日はそういう話がしたいんじゃないくて、

もう少し別の観点から「叱る」ことについて考えてみたい。


他人を叱るうえで僕が個人的に重要だと考えているのは「叱る理由」だ。

叱る理由を相手に伝えずにいると、それはただの価値観の押しつけになってしまう。

少し抽象的な表現になってしまったので、イメージしやすいように例を挙げてみよう。


たとえば自分の子どもに対して「手を洗いなさい」と叱るとする。

正直これはナンセンスだ。

なぜ手を洗わなければいけないのか、

手を洗わないことでどのようなマイナス点があるのか、などについて一切触れていないからだ。

これでは叱っているのではなく、ただ命令しているだけだ。

要するに「手を洗うべきだ」という自分の価値観を子どもに押し付けている。


効果的に叱りたいのであれば、手を洗う理由や利点を添えるべきだ。

「手を洗いなさい」

「手を洗わないと病原菌が手についたままだ」

「その手でご飯を食べると病原菌を食べていることになる」

「その手で触ったものを他の人が触ると、病原菌を渡していることになる」

「病原菌が体内に入ると、風邪をひく」

「風邪をひくとつらい、学校を休まなければいけない、世話をする親も大変だ」

「風邪をひきたくなければ手を洗いなさい」

このように言われれば、子供も手を洗いたくなる。

風邪をひいてもいいというのであれば、手を洗う必要はない。

その判断はすべて子どもに委ねられている。


人間なんていうものは、

自分が常に少しでも得をするように行動しているんだから、

手を洗った方が得であることをしっかりと伝えられればいい。

親は手を洗うことが得策であることを過去の経験から学んでいるけれど、

子どもはそこを理解していない場合が多い。

だから叱るときは、なぜ手を洗う必要があるのか、それがどう利点になるのか、

を話さなければいけない。