2011/12/29

哲学


そこに置いてあるアイスクリームと、 

僕の心臓をそれぞれ天秤の両端に乗せる。 

そうするとアイスクリームに天秤が傾くぐらい、 

僕はアイスが好きだ。 

おそらくそういう人種なんだ。 


雨の日も、風の日も、 

雪でも、夏の暑い日でも僕はアイスを食べる。 


日本人が醤油をこよなく愛するように、 

僕はどんな状況下においてもアイスが食べたいんだ。 


今このブログを読んでいる多くの人は、 

なにバカなことを言っているんだと思っているかもしれない。 

それでもいい。 

アイスは見栄を張って食べるようなものじゃない。 


ハーゲンダッツは美味しい。 

でもあれは味が濃いから、 

疲れているときとか、油っぽいものを食べたあとがいい。 

味の薄い和食を食べたあとに、 

「おいしい、おいしい」なんて有り難がるようなものじゃないんだ。 

和食のあとは、味の薄い爽やモナカアイスぐらいがちょうどいい。 

それでもダッツを食べるのは、 

ある種の見栄だ。 

そういう人間は、 

食後にダッツを頬張るおしゃれな自分が好きなだけだ。 


アイスはファッションじゃない。 

アイスはライフスタイルなんだ。 


世界にはいろいろな人がいて、 

それぞれのライフスタイルがある。 

だからアイスの食べ方も千差万別で、 

無限の選択肢が広がっている。 


やっぱりバニラが王道だとか、 

ソフトクリーム以外は認めないだとか、 

安いアイスは甘ったるいだとか、 

そういうことを気にするのはナンセンスだ。 


バニラが好きな人もいれば、 

チョコが好きな人もいる。 

大きくなってから抹茶を食べられるようになる人だっている。 


だから、 

その場の状況に応じて、 

自分の食べたいアイスを食べたいように食べる。 

それが粋な食べ方。 


アイスクリーム。 

スプーンに乗せて口にするとき、 

誰しもが幸福感に包まれる。 

あれは形を変えた、 

小さな幸せであるということを 

大人たちは忘れてしまった。 


100円ぽっちで買えるかもしれない。 

コンビニですぐに手に入るかもしれない。 

たしかにありがたみを感じなくなりつつある。 


でも思い出してほしい。 

母親がアイスを食べていいよと許してくれたときの喜び。 

父親が遊園地で買ってくれるアイスの味。そして優しさ。 


今日もアイスは僕たちの夢を支えている。 

キンキンに冷えた冷凍庫の中、 

銀のスプーンをひっぱりだして、 

アイスの蓋をあける。 


ほら、アイスを食べたくなってきたでしょう?

2011/12/16

真実と嘘


高校2年の夏休みに、 

僕は友人と早稲田大学の見学にいったことがある。 

そのときたまたま正門付近にTBSが取材に来ていて、 

学生たちにインタビューをしていた。 


ちょうどダルビッシュとサエコが結婚して、 

さらにサエコが早稲田(通信教育だけど)を中退していたから、 

「同じ早大生としてどう思うか?」 

という質問だった。 


TBSは見学しているだけの僕たちを早大生だと思ったらしく、 

同じようなインタビューをしにきた。 


僕は当然のような顔をして早稲田大学の1年生だと偽り、 

質問に対して、 

「結婚し、ダルビッシュはますます野球に集中できると思う。」 

と回答した。 


あれから数年経った今、 

前者は真実となり、 

後者は嘘となった。 


世の中なにが起きるかわからないものだ。

2011/12/11


最近になって感じるのが、 

「角」の重要性。 

鹿の「ツノ」でも、将棋の「カク」でもない、 

「角(カド)」。 

「用」と混同してたまに下が突き出る角。 

この角がいかに重要なものなのか。 


消しゴムで字を消すときはやはり角がいい。 

歯ブラシは角がなくなったら交換の時期。 

角部屋。 

角を制する者はオセロを制す。 

遅刻ギリギリでパンを加えながら走るヒロインにぶつかるのも角。 

角は立たない方がいい。 


「角」というのは本当に大事だ。

2011/12/07

論理


「タバコは体に良くないよ。」 

という話をしたら、 

「タバコを吸うと死にやすいっていうけど、 

その因果関係、医学的には証明されてないんだよ。」 

って返された。 


タバコを吸うことに関しては否定しないけど、 

その「医学的に証明されていないから吸ってもよい」、 

というロジックはどうも納得いかないな。 


たとえば、 

ノー勉でテストに臨む。 

たぶんあんまりいい点数は取れていない。 

でも先生はまだ採点していない状態。 

だから問題ない。 


これと同じ。 

タバコと死亡率の因果関係は、 

医学的に「まだ」証明されていないだけで、 

本当にタバコを吸ってもいいと確信できるのは、 

「タバコは体に悪くない」という医学的証明がなされたときなんだ。 


まぁでも、 

タバコを吸っちゃいけないと確信できるのも、 

「タバコは体に悪い」という医学的証明がなされたときなんだけど。

2011/11/29

これ好き


結婚するとき、

私は女房を食べてしまいたいほど可愛いと思った。

今考えると、

あのとき食べておけばよかった。


by  アーサー・ゴッドフリー

2011/11/27

市場


そういえばこの間電車に乗っていたときに、 

中年の外国人男性と日本人女性のペアがいた。 

電車内の広告に「楽天市場」と書いてあるのを見た外国人男性が、 

「Rakuten」はわかるけど、 

「市場」っていうのはどういう意味かと女性に聞いた。 


女性は少し考えたあと、 

「市」は"City"で、 

「場」は"Place"、 

2つ合わせると"Market"という意味になるよと説明していた。 


おそらくこの女性は、 

国語よりもむしろ数学が苦手なんだろうなと思った。

2011/11/25

グローバル化


たとえばこれから世界がもっとグローバル化して、 

どんどんと小さくなっていくとすれば、 

いろんな国の工場や、 

オフィスや、 

流通の拠点なんかが、 

世界中に散らばることになる。 


今よりももっとお互いがお互いに依存しあって、 

持ちつ持たれつの関係が強まっていく。 


そうなると、 

簡単に外国を攻撃できない。 

爆弾を落とせない。 

攻撃する土地に自分たちの工場があるから。 


こんなふうにしてそれぞれの国の利害関係が一致すれば、 

戦争はなくなるじゃないか。

2011/11/12

洗脳


北朝鮮で、 

「金正日万歳!」ってやってる動画を見る度に、 

なんとなく胡散臭いなって思っていた。 

だってそんな簡単に人を洗脳できないでしょ。 


でも今日知り合いにこんなことを言われた。 

「麻薬だって本当に体に悪いかどうかなんてわからんよ。」 


まあおそらく体には悪いんだろうけど、 

たしかにそれを証明できるほどの知識や経験は持ち合わせていない。 

ただ単に学校でそうやって教わっただけだ。

2011/11/06

"Where the Hell is Matt?"


上の動画。

YouTubeで数年前に話題になってて、 

当時はすげーなって思ってた。 

こんなことできたら楽しいんだろうなって思ってた。 


でもそんなことすっかり忘れちゃってて、 

先日たまたまこの動画をもう1度見るチャンスがあった。 


やっぱりすげー。 

初めて見てから3年が経つけど、 

まったく輝きを失っていない。 


この動画の中で、 

自分が行ったことのある場所なんてほんの数カ所だけど、 

そのシーンになるとやっぱりテンションが上がる。 

これを見るたびに、 

もっといろんなところに行ってみたいなって素直に思う。 


異文化理解とか、国際平和とか、貧困とかいろいろあるけど、 

そういうドカンとした言葉を一切抜きにして、 

ひたすら楽しく適当にダンスを踊るこのおっさんのスタイル、 

大好きだ。

2011/11/04

つらい


世界中で、

1人の人間が持ち上げることのできた最も重いベンチプレス、

476kg。


食べ物や栄養剤をまったく与えず、

ミネラルウォーターだけで人間が生きることのできた日数、

57日間。


人類の歴史の中で、

最も高いところから落下して生存した記録、

6700m。


人間というのはすごい。

人類というのは偉大だ。


なのに、

顔にちょこんとついている鼻、

その鼻が少しつまるだけで、

食べ物の味がなにもかもわからなくなってしまうんだ。

2011/11/01

割り箸


いや、 

ほんと個人的な意見なんですけど、 

コンビニでもらう割り箸、 

あれは「膳」よりも「本」を使って数えた方がいいと思います。 


いや、 

っていうのも、 

たしかに料亭とかで使うすごい本格的な漆塗りの箸は、 

元がバラバラなんで、 

1本2本…って数えると、 

ほんと箸をインディヴィジュアルで数えることになっちゃって、 

いまいちしっくりこないんですけど、 

コンビニの割り箸、 

というか割り箸全般、 

もともとくっついてるものが多いし、 

ご丁寧に紙のカバーまでしてある。 

なんというかもう、 

2本で1セットとかいう次元を超えて、 

それ自体が1つのアート。 


だからやっぱり「膳」よりも「本」の方がいいと思います。

2011/10/26

モデル


そういえばラオスに行ったとき、 

首都ビエンチャンである1人の男性に出会った。 

もちろん現地の人なんだけれども、 

流暢な英語を話し、 

見るからに裕福そうな身なりをしていた。 

聞く話によると、 

Lao  Telecommunications(ラオス最大の電話通信会社)に勤めているらしい。 


彼はその首に一眼レフのカメラをぶら下げ、 

いろいろなものを写真に収めている。 

つい最近購入したばかりだと言っていた。 


そんな彼は、 

僕が日本人だと知るや否や、僕の写真を取り始めた。 

東南アジアではまだまだ日本人が憧れの対象なようで、 

ご飯を食べる様子、 

笑顔でピースをしている様子、 

寝転がっている様子、 

歩いている様子、 

終いには何もしていない様子までをもフィルムに焼き付けた。 

夕陽を掴んでみたり、 

明後日の方向を向いてみたりだってした。 


僕はモデルでも何でもないので、 

あれほどカメラを向けらると、 

なんだか少しこっぱずかしい気持ちになった。 


でも、 

時間が経つにつれて、 

写真の枚数が増えていくにつれて、 

そのこっぱずかしい気持ちは、 

だんだんとイラつきや、鬱陶しさに変わっていった。 


たしかに僕は日本人だ。 

髪の毛も適度に整えていれば、 

背丈だって彼よりもずっと高い。 

そりゃあ現地の人にしてみれば、少し珍しいのかもしれない。 


もちろん彼に悪気はないんだろうけど、 

彼は僕を1人の人間としてというよりも、 

1つの対象として、 

まるでブロンズ像かピエロを見るような目で見た。 

人と人との繋がりや一体感というよりも、 

モナリザとそれをみる観光客のような距離感がそこにはあった。 


なんだか寂しかった。 


おそらく日本でも同じような経験をした人は多い。 

たとえば欧米人。 

特に白人。 

それから芸能人、モデル、スポーツ選手。 


彼らは毎日毎日、 

こんな寂しさを感じているんだろうなあ。

2011/10/23

意味


「世の中に意味のないものなどありやしない」

と言われるとなんとなく心が温まるけれども、

「意味のないものはこの世から淘汰されている」

と言われると心にグサッとくる。


物事を多面的に見るというのはこういうこと。