2013/11/05

リニューアル


ブログを新しくしました。最近流行りのフラットデザインというやつです。

ここのところ少し筆を休めていましたが、

ブログを書くという行為はTwitterやFacebookへの投稿とは異なり、

自分を見つめなおす良いきっかけになります。

これを機にコツコツと投稿できたらなと思います。

それでは。

2013/01/04

叱る


今日は「叱る」ことについての話をしたい。

世の中では「叱る」ことと「怒る」ことは違う、などと盛んに謳われている。

どうやら「叱る」とは、相手のためを思い目的をもって注意をすること、

一方で「怒る」とは、自分のイライラを発散させるために相手に当たることらしい。

だから、子どもや部下を教育するためには、怒らず叱ることが必要となる。


たしかにこの区別は的確だと思う。

ただ今日はそういう話がしたいんじゃないくて、

もう少し別の観点から「叱る」ことについて考えてみたい。


他人を叱るうえで僕が個人的に重要だと考えているのは「叱る理由」だ。

叱る理由を相手に伝えずにいると、それはただの価値観の押しつけになってしまう。

少し抽象的な表現になってしまったので、イメージしやすいように例を挙げてみよう。


たとえば自分の子どもに対して「手を洗いなさい」と叱るとする。

正直これはナンセンスだ。

なぜ手を洗わなければいけないのか、

手を洗わないことでどのようなマイナス点があるのか、などについて一切触れていないからだ。

これでは叱っているのではなく、ただ命令しているだけだ。

要するに「手を洗うべきだ」という自分の価値観を子どもに押し付けている。


効果的に叱りたいのであれば、手を洗う理由や利点を添えるべきだ。

「手を洗いなさい」

「手を洗わないと病原菌が手についたままだ」

「その手でご飯を食べると病原菌を食べていることになる」

「その手で触ったものを他の人が触ると、病原菌を渡していることになる」

「病原菌が体内に入ると、風邪をひく」

「風邪をひくとつらい、学校を休まなければいけない、世話をする親も大変だ」

「風邪をひきたくなければ手を洗いなさい」

このように言われれば、子供も手を洗いたくなる。

風邪をひいてもいいというのであれば、手を洗う必要はない。

その判断はすべて子どもに委ねられている。


人間なんていうものは、

自分が常に少しでも得をするように行動しているんだから、

手を洗った方が得であることをしっかりと伝えられればいい。

親は手を洗うことが得策であることを過去の経験から学んでいるけれど、

子どもはそこを理解していない場合が多い。

だから叱るときは、なぜ手を洗う必要があるのか、それがどう利点になるのか、

を話さなければいけない。


2012/12/13

仕事



12月1日から、2014年卒の就活が本格的にスタートした。

就活を始めるにあたって、

自分がどんな仕事をしたいのか、

自分が仕事に何を求めているのか、などについて少し書こうと思う。


僕がまず仕事に求めるのは、給料だ。

やりがいや社会貢献、自己成長などさまざまな要素があるけれど、

やはり給料が最重要だと思う。

なぜかというと、

仕事とはお金を稼ぐことだからだ。

やりがいを求めるのであれば、

働かずにスポーツや音楽やその他自分の好きなことをやればいい。

そっちのほうがずっとやりがいがあるだろう。

社会貢献をしたいのであれば、

給料をもらわずにボランティア活動をすればいいだろう。

自己成長の場を得たければ、

たくさんの本を読み、頭や体を動かして実践すればいいだろう。

習い事をしたっていいだろう。


要するに、

仕事っていうのは「お金を稼ぐ」という目的ありきの行為なんだから、

やりがいや社会貢献や自己成長なんていうのは、

そこにぶらさがっている要素でしかない。

だから自分が納得のいく給料をもらえなければ、

どんなにやりがいがあったって、そのうちに嫌気がさすだろう。


ただそうはいっても、給料のいい会社なんてこの世には山ほどある。

一億円プレイヤーになりたいのなら話は別だけれども。

だからそこで初めて、給料+αの何かを求める。

自分の場合は、「海外」というキーワードが軸になっている。

その詳しい理由は、ここに書くと長くなりそうなのでまたの機会にする。


でもとにかく自分は「海外」という要素にものすごく価値を見出していて、

少しぐらい給料が低くても、外に行けるチャンスがある方を選んでしまいそうだ。

それぐらい海外には魅力がある。


少し話は戻るけれど、

自分の周りにはお金に関して少し勘違いしている人がいるように思う。

お金があっても、モノは買うことができない。

サービスを受けることもできない。

モノやサービスを購入するためには、お金と時間が必要だ。

たとえば1億円持っていても、

24時間働きづめでオフィスから出ることができなければ、

吉野家の牛丼すら買うことができない。

だから給料と同じぐらい、自分の時間というのも大事だと思う。


休みがあるからこそ、お金を使うことができる。

お金を使うことができるからこそ、お金を稼ぐ必要がある。

労働というのは基本的に自分の「時間」を、「お金」という紙切れに換える行為なので、

自分の持つ時間とお金とがちょうどバランスよく取れるあたりが、

自分にとってベストな地点となるように思う。

極論をいってしまえば、休日がなければお金を稼ぐ必要はない。

休日があるからこそ、給料の高低という要素が非常に重要になってくる。


ここまで書くと、こいつは金のことばかり考えていると思われるかもしれない。

たしかにそうだ。

でもそれは大事なことなんじゃないかと思う。

金の話は一般的に汚いとされているけれど、

世界がお金をベースにして回っているのは紛れもない事実だ。

お金を無視して生きることはできない。

だから、お金という現実的な部分から目を背けず、

しっかりと向き合ったうえで、さらに自分の求める価値を仕事に追求する。

お金はいらないから自分の好きなことがしたい、というのは、

言い方は悪いかもしれないがある種の現実逃避だ。

自分の好きな、たとえばバスケをプレイできる代わりに、年収が100円だとする。

本当にそれでいいんだろうか。

自分の好きなことができればいいんだろうか。

それは違う気がする。


だからこそ、いろいろな部分をよーく見て、吟味して、

自分に合った職を探さなければいけない。

2012/11/27

叙述トリック



面白かったので。

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むかし昔、ある男がある村に現れ、村人たちに言いました。

「猿を一匹1000円で売って欲しい」と。

サルは村では珍しくもなく、そこら中にいたので、村人たちはさっそく森へ捕まえに行きました。

村人たちが捕まえた何千匹ものサルを男は一匹当たり1000円で購入し、

そのうちサルの数が少なくなってきたので、村人たちは捕まえに行かなくなりました。

そこで男はサルの値段を一匹当たり2000円にすると発表しました。

この新しい発表により村人たちはまたサルを捕まえに行きました。


しばらくするとサルの数がさらに減ってきたので、村人は捕獲をやめました。

すると男の申し出は2500円へと吊りあがりました。

しかしサルの数はかなり減ってきているので、捕まえるどころか見つけるのさえ難しくなっていました。

とうとう男は値段を5000円にまで吊り上げました。

しかしながら、男はビジネスのために町へ出向かなくてはいけなくなったので、

彼のアシスタントが代わりにサルを買いつけることになりました。


男が留守の間に、このアシスタントは村人たちにこう言いました。

「今まで彼が集めてきたこの多くのサルを、あなたたちにこっそり3500円で売りますから、

明日彼が戻ったら、それらを5000円で売るといいでしょう」

村人たちはそれぞれお金を出し合って、そのすべてのサルを一匹3500円で買いました。

しかしその後、村人たちは男もアシスタントも二度と見ることはなく、

ただサルだけはそこらじゅうにあふれていました。


株式のことが少しわかるようになりましたか?

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(元ネタ)http://2cham.net/matome/62895

2012/11/26

新しくなったブログ


書き心地や機能といった面から、ブログを新しくしました。

今後はこちらに記事を上げていきますので、よろしくお願いします。

なお、過去の記事は暇を見つけてこちらに移転させていく予定です。

2012/10/28

新人


今日の買い物。 

レジが新人の子だったみたいなので、 

支払いの際に「頑張ってください」と、 

笑顔で応援しておいた。 


これは自分がアルバイトの新人だったときに、 

お客さんに言われたことがあって、 

ものすごく嬉しかったんだ。 

だからそれ以降レジの子が新人だったときは、 

なるべく声をかけるようにしてる。 

自分がバイトを始めたのだってまだ2年ぐらい前の話なのにね。 


今日声をかけた子がこれから先、 

少し大人になって、 

同じように新人に声をかけてくれたらいいなって思う。 


ここまで読んでくれた人の多くは、 

うわーいい話だなって思ってくれてるんだろうけど、 

わざわざいい話を書くために今日のブログを書いたんじゃないよ。 


新人にも声をかけちゃうおれ、 

えらいでしょ!? かっこいいでしょ!? 

そのアピール。 


人間そんなもの。

2012/10/19





柿くへば  鐘が鳴るなり  法隆寺




正岡子規もその辺に種ペッてやってたのかなあ。